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030_S.Hさん ナルクの皆様に感謝、有難うございます

――会社勤めを終え親族を見送った後、林 静子さんの、気儘な生活がほぼ20年続いた。
本年5月、救急車で担ぎ込まれて入院、車椅子の世話になってリハビリ受けながら、自分の半生を
振り返った。「人間は一人で生きているのではなく、多くの人に支えられているのだ」と悟り、そして    あらためて周囲の人、そしてボランティア仲間「ナルク」の皆様の心遣いに感謝している。

私の性格

静子さんは、20歳代から勤めていたゼネコン関係の建築会社を定年近くの60歳前に退社した。
普段色々なところで出会った人100人中の100人から「貴方は先生でしょう?」とか、またある時、新幹線の中で見知らぬ人年上らしき女性から”超能力者では”と言われた。また、隣り合わせた見知らぬ良家の若奥様風の方から大真面目にそして唐突に「人生相談」を受けたこともあり、雰囲気が謎めいていたように思う。
会社では「よろず請け負う“小使さん”みたいな雑用係だった」と謙遜している。他方「関係各省や自治体との折衝では臆せずに渡り合い、最終的には説得した」と実力のある“小使いさん”だった。
性分として人から「やれ!」と云われるのが好きでなく、多くは自分の信念で行動した。
 静子さん自身ふと気が付くと「人前にしゃしゃり出ていた」とか「世話役を買って出た」と語っているように、面倒見の良い「出たがり屋」だった。

大好きな合唱生活が始まった

会社の退社を前後して年寄りや連れ合いを看取り、家事やお世話から一切解放された生活が
始まった。その時を境に健康面では一年半ぐらい体調不振に悩まされ、後ほどから分かったことだが
「更年期障害」だったようだ。
  診療所の医師から“林さん、好きなことをしなさい!”と言われ、数十年心に秘めていたベートーベンの「第9交響曲 合唱付」に挑戦するため混声合唱団に入団して、ドイツ語の譜面を手にした。
練習中に倒れるのでは・・・と恐れたが、女性陣30人ほどの一番前に陣取り懸命に歌い、四六時中合唱に明け暮れた。そのうちに体調の悪さも忘れ、知らない間に更年期障害らしきモヤモヤを克服してしまった。

その当時に住んでいた近隣の1200人ぐらい入るホールで演奏会があり、第9交響曲の舞台に立った時は人生で感動・感激した。 第一回目の練習から著名なコバケンこと小林研一郎氏や小泉和裕氏の指揮を仰ぎ、合唱練習は芸大の教授から併せて7年間指導を受けたのはラッキーであった。

そして4~5年たった時には女性陣での世話役を担っているうちに、副団長にならされていた。
合唱練習の為の合宿で泊まった翌日、指揮者の方と学生時代からやっていたテニスをしたことも楽しい思い出の一つだ。調布市から国分寺市へ移ってからも“第九”以外のコーラスは続けている。

気儘な海外一人旅

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